American Nihilist Underground SocietyのSpinoza Ray Prozakの書いた「The Philosophy of Heavy Metal」が美術としてのメタルについての最も良い説明で、世界のメタル好きに知らせ甲斐だと思います。それから日本人の友達と分かち合おいたいと思いました。普通は母語桑者が翻訳するが、この論文を取り組んでいる日本語話者がいないらしいですから、日本語学習者の私が自分の言語力を試験して、母語話者の助言を求めて、訳しようようと思っていました。今までANUSは欧米の読者層がいますけれども、この翻訳でANUSの興味深い考えをアジアの読者にも紹介するのを希望します。
あなたは日本語の母語話者、特に哲学か音楽に明るい方なら、あなたの助言をお願いいたします。宜しかったら、お名前を翻訳に入れて、ご尽力に礼を言います。文法を書き直していただければよろしいです。知的な論文として、だ・である形を使いますが、俗語を使わないようにします。できるだけ、カタカナ語を利用しすぎないで翻訳したいと思います。下のは、文字通りの翻訳ではないですけれでも、言葉より心が大切に。
メール:rXodkXXaromanXXovichX@XgmaiXl.XcXom。Xを消してください。
よろしくお願いします。
During an unusual time, in which a large number of bigger historical trends reached one of those periodistic points of brutal evidence, metal music punched through the pleasant facade of mainstream music and brought to bear upon a slumbering populace remnants of the ancient Indo-European spirit of vir. It did so through a Romanticist, Faustian form of music-culture which to this day remains controversial, despite the attempts of commercial bands to turn it into a predictable, fatalistic, impotent version of itself.
多くの歴史のトレンドが明白に現れた珍しい時、メタル音楽は大衆音楽の甘い建前を突破し、魔酔する・される・なった 人間を原インドヨーロッパの現代に残る古代のspiritヴィルと直面させた。このファウスト的なロマン主義の音楽文化は、営利バンドが目新しくなく、無力にする努力にもかかわらず、論争のままだ。
質問:
メタルは取りあえず尽き果てたようだが、未来に何になろうかと予言するのに過去を勉強しなくてはいけない。芸術運動について肝心なのは、「他の運動とどう違うか」と「何を志すか」と言う問題だ。答えが二類ある。ジャンルを創りした音楽家の意志は一つだ。(カニバル・コープスやクレイドル・オブ・フィルスのようなもてるが無意義なバンドではない。)もう一つは部外者の与える意義だ。メタルは主流の世界観に反するので、意義がないようにこじつけるのが多い。
Reguándóy domum